(しょくこきんわかしゅう)は鎌倉時代の勅撰集で、二十一代集の第十一番目。春(上・下)、夏、秋(上・下)、冬、神祇、釈教、離別、羇旅、恋(五巻)、哀傷、雑(三巻)、賀の全20巻からなる。総歌数1915首(伝本によって異同がある)。
撰者の一である九条基家筆の仮名序と、菅原長成筆の真名序を持つ。歌人を当世と故者に分けて、入集歌数および略伝を附す「続古今和歌集目録」も伝わる。
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御子左家の当主・藤原為家が、正元元年(1259年)三月十六日に後嵯峨院から勅撰集撰進の命を受けた。ところが途中の弘長二年(1262年)九月、同院の勅宣により反御子左派の先鋒に立つ九条内大臣基家(1203?1280)・衣笠内大臣家良(1192?1264)・六条行家(1223?1275)・真観こと葉室光俊(1203?1276)の四名が新しく撰者として加わり、憤懣やるかたない為家は以後、専ら嫡男為氏に編纂工作を任せたという。文永二年(1265年)十二月二十六日、完成し奏覧、同三年三月十二日竟宴。撰者五人のうち、家良は完成を待たず、文永元年(1264年)に没した。