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近代陸軍の黎明期(世界)

第一次世界大戦頃までは、山岳師団などを含む歩兵師団と、騎兵師団くらいしか存在しなかったが、陸軍の近代化とともに機甲師団、空挺師団などのさまざまな兵科師団が置かれるようになった。

山岳師団は山岳戦闘を専門とする師団で、登山に必要な装備や訓練を受けている場合が多い。山岳では運搬が困難な重砲は装備していないが、分解して人力で運搬可能な山砲を装備していた。空挺師団は落下傘降下(エアボーン)によって部隊が展開される師団であり、山岳師団同様に重砲の装備はなかった。機械化歩兵師団は、部隊の移動が徒歩ではなく装甲車やトラックのような自動車によって行なわれた師団のことであった。米海兵隊の海兵師団は上陸戦用の歩兵師団であり、揚陸艇や揚陸艦によって展開される歩兵師団であった


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21世紀初頭現在では、各種師団も変様し、山岳師団であっても戦車を保有し、空挺師団の侵攻方法も落下傘よりはヘリコプターや車輌が中心となり、機械化歩兵師団も自動車が行き渡った現在においては、徒歩以外での移動手段を保有せず必要に応じて他の部隊から機械力の助けを借りる軽歩兵師団と呼ばれる歩兵師団以外は、全ての歩兵師団が機械化・自動車化されているといえる。米軍の海兵師団も舟艇による着上陸と同様に、ヘリや垂直離着陸機による侵攻手段を備えている。中世からの乗馬による戦闘部隊であった騎兵師団は銃砲の発達で一度無くなったが、師団より小さな規模でのヘリコプター主体の部隊名に使用されるようになっている
明治21年(1888年)5月12日に6個鎮台を廃し、それに代って6個師団が置かれた。これが常設師団の始まりである。大日本帝国陸軍では、恒久的な部隊である歩兵連隊と他の諸兵科を以って組織された戦略単位である師団という単位を重視し、陸軍中将を以て補し更に特に親補職としていた。日中戦争開戦以前の平時に於いて、海外領土等には朝鮮軍・台湾軍・関東軍・支那駐屯軍の4軍があったが、このうち隷下に常設師団を持つのは朝鮮軍[1]のみであり、他は師団と比べて規模兵力が特に大きかったとも言えず、大日本帝国陸軍とは、内地に於ける師団と、海外領土等に於ける或いは臨時に編成される軍との集合体であるとも言え、それぞれ統帥権者である天皇[2]に直隷し、天皇の下に大日本帝国陸軍総司令官といったような軍職は無かった。

また、内地に於ける日本軍の戦略組織は師団のみであり、常設師団が内地での軍政および作戦と教育を担当した。このため、有事の際に師団が外地に出征すると、内地に留守師団(るすしだん)が置かれた[3]。

なお、太平洋戦争開戦から末期にかけて、4乃至3個歩兵連隊を基幹とした通常の師団の他に、戦車師団・高射師団・飛行師団等の、専門部隊のみの師団が編成された。これら専門部隊のみの師団は、管区を持たず軍政には関与せず、作戦に於いても、他部隊との連携を前提としたもので、単独での作戦遂行を目的としたものではない。飛行師団に至ってはその多くが特攻を目的としたもので[要出典]、戦略単位とされる師団とは性格が異なっている。

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2009年06月01日 13:12に投稿されたエントリーのページです。

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